17世紀のフランスの哲学者デカルト (Descartes) の有名なことばに、
Je pense, donc je suis.
ジュ パンス ドンク ジュ スィ
というのがあります。
(デカルトの肖像画 ※ fr.wikipedia.org より)
donc は 「それゆえ、したがって」。
後半の je suis の suis ( être ) の意味は、この場合は、
~である
ではなくて、
在る、居る、存在する
のほうです。
ですので、
Je pense, donc je suis.
は、
我思う、故に我有り。
などと訳されています。
仏和辞典でも donc の項目にこれが例文として出ていたりします。
仏和辞典でも donc の項目にこれが例文として出ていたりします。
そして今回のお題の
Je dépense, donc je suis.
ジュ デパンス ドンク ジュ スィ
という表現ですが、人から 「これは誰の言葉なの」 と聞かれて、初めて聞く表現だったので、ちょっとググってみたのですが、たくさんいろんなところで使われていますね。
とくにだれが言い出した言葉というわけではなく、デカルトの表現をもじって、最近いろいろ使われるようになった表現みたいです (あまり確信なし)。
意味は、 dépense が
dépenser : 消費する
という動詞なので、
私は消費する、だから私は存在している。
我消費ス故ニ我有リ
などとなります。
この消費社会においては、消費することが人の存在意義になっている、とか、そういう感じでしょうか。
意味は、 dépense が
dépenser : 消費する
という動詞なので、
私は消費する、だから私は存在している。
我消費ス故ニ我有リ
などとなります。
この消費社会においては、消費することが人の存在意義になっている、とか、そういう感じでしょうか。