Je peux bien aller au bout du monde, je peux bien me tapir, le matin, sous mes couvertures, me faire aussi petit que je pourrais, je peux bien me laisser fondre au soleil sur la plage, il sera toujours là où je suis. Il est ici irréparablement, jamais ailleurs. Mon corps, c'est le contraire d'une utopie, ce qui n'est jamais sous un autre ciel, il est le lieu absolu, le petit fragment d'espace avec lequel, au sens strict, je fais corps.
フランスの思想家 Michel Foucault(ミッシェル・フーコー 1926-2984)の "Le Corps utopique" という文章からです。
[試訳]
私は世界の果てにまで行けるし、朝、毛布にうずくまって小さく丸まっていることもできる。浜辺で陽の光に溶けそうになることだってある。だが、それはいつもそこに、私の居る場所に居る。それはここに、取り消し不可能なものとして、居る。決して他にはいない。私の身体、それはユートピアの反対だ。決してどこかの空の下に居ることはない。それは絶対的な場所であり、その空間の小さな断片と私は文字通り〈一体化〉している。
[ChatGTPによる翻訳]
私は地の果てまで行けるし、朝、毛布の中に潜り込んでできる限り小さくなることもできる。砂浜で太陽の下に溶けるように身を委ねることだってできる。それでも、それ(身体)は常に私がいる場所にある。修復不可能なほど、ここに存在していて、決して他のどこかにいることはない。
私の身体、それはユートピアとは正反対のものだ。それは決して別の空の下にあることはなく、絶対的な場所なのだ。私が「身体を成す」という意味で、厳密には私と一体化している小さな空間の断片なのだ。
(ここまで)