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2016-03-30

良識はこの世でもっとも公平に分配されている (2)

Le bon sens est la chose du monde la mieux partagée ; car chacun pense en être si bien pourvu, que ceux même qui sont les plus difficiles à contenter en toute autre chose n’ont point coutume d’en désirer plus qu’ils en ont.

(René Descartes, "Discours de la méthode", 1637)


デカルトの 『方法序説』 第一章冒頭の2回目です。

    → 一回目: 良識はこの世でもっとも公平に分配されている (1)


最初の文、

    Le bon sens est la chose du monde la mieux partagée ;

は、

    良識はこの世で最も良く分配されている

っていうような感じでした。


続く文は、一文が長いです。

    car chacun pense en être si bien pourvu, que ceux même qui sont les plus difficiles à contenter en toute autre chose n’ont point coutume d’en désirer plus qu’ils en ont.


今日やれそうな部分の発音は、

    car chacun pense en être si bien pourvu,

    カル シャカン パンス アン エートル スィ ビヤン プルヴュ

です。

まず car は、

    というのも、実際~だから

と、前の文の内容の説明や理由を言うときに使う語 (接続詞) ですね。

    ※ 英語だと for になります。


つづく、chacun pense は、chacun が 「おのおの、めいめい、各自」  とか 「だれでも」 という代名詞で、pense の主語なので、

    car chacun pense

で、

    というのも、だれもが...と考えているからだ

という感じです。


そして、動詞 pense の後に en という語が来ていますが、 penser のあとに前置詞 en が来るパターンは見たことないと思います。

いま手元にある 『クラウン仏和辞典』(手元のはけっこう古い版) と 『ロワイヤル仏和中辞典』 を見ても載っていません。

そこで、この en は代名詞あるいは副詞の en なのかな、それとも 〈 penser + 前置詞 en 〉 っていう表現が、もっと調べればほんとはあるのかも、とか思いながら次を見てみましょう。

    car chacun pense en être ...

というように動詞 être の不定詞 (原形) が来ています。

なぜ?

penser の後には動詞の不定詞が来たりするの? それとも 〈 en + 不定詞 〉みたいな表現があったっけ?


またここで辞書を見ると、

    penser + 不定詞

という項目があります!

意味は、

    ~と思う、~するつもりだ

などです。


なので、(とりあえず en を取って)、

    chacun pense être ...

とすると、

    だれもが ... であると思っている

みたいになるはずです。


つづきは、

    car chacun pense en être si bien pourvu

 なんですが、si bien は修飾(副詞表現) っぽいからちょっとはずしてみて ( en もなしにして)

    car chacun pense ... être ... pourvu

とすると、pourvu は形容詞で、〈 pourvu de ... 〉 で、

    ~を備えた、~を持っている

となるので、

    というのも、だれもが(~を)持っていると思っているからだ  

となります。

    ※ もともと pouvu は動詞 pourvoir (与える、備え付ける) の過去分詞です。


でここで、さっき無視しちゃった en ですが、代名詞 en には、

    de + 前出名詞

の代わりになる用法がありました。

つまり、この場合の 〈 de + 前出名詞 〉 の de は、さっきの、

    pourvu de ...     ~を備えている、~を持っている

の de ... の代わりなんじゃないか!

そうだとすると、

    car chacun pense en être ... pourvu,

で、

    だれもがそれを持っていると思っているからだ

となります。


そして、さっき無視した si bien をもどすと、

    car chacun pense en être si bien pourvu,

となりますが、ここで思い出すと、

    si bien que ~

という表現を習いました。

    (とても ... なので)その結果 ~ だ

です。

今回は、

    car chacun pense en être si bien pourvu, que ...

というふうに、 si bien のあとに形容詞 pourvu が来ていて、その後にヴィルギュル [ , ] があって、その後に que があります。

なので、 〈 si bien que ... 〉 じゃないのかな。

でもこの文を書いたデカルトという人は17世紀の人なので、古い言い方だとそういうのもありなのかも、と思ってとりあえず、

    car chacun pense en être si bien pourvu, que ...

    というのも、だれもがそれをとても持っていると思っているので、その結果 ... だからだ

としておきますが、「とても持っている」 は変なので、

    というのも、だれもがそれをじゅうぶん持っていると思っているので、その結果 ... だからだ

としましょう。


最後に、「それをじゅうぶんもっている」 の 「それ」 とは?


あとまでちゃんと読まないと決められないけど、

    良識はこの世で最も良く分配されている。 というのも、だれもがそれをじゅうぶん持っていると思っているので、その結果 ... だからだ

となるので、「それ」 は 「良識」 ということでよいでしょう。



 Discours de la méthode

 ※ Discours de la méthode 初版のタイトルページ (Wikipedia より)