(フランス語中級)
キリスト教の 『新約聖書』 のフランス語版をちょっとだけ読んでみます。
新約聖書の中の 「ヨハネ伝」(ヨハネによる福音書) の冒頭です。
※ 10世紀のラテン語版「ヨハネ伝」冒頭 ( fr.wikipedia より)
日本語でもそうですが、フランス語版の聖書にもバージョンがいくつもあります。
※ 新約聖書の 「原文」 は古典ギリシャ語。
そして、バージョンによってけっこう文面が違っていたりして面白いです。
ここでは、La Bible en français courant というバージョンからの引用です。
※ 引用元: Évangile selon Jean 1, La Bible en français courant (FRC97) | Chapitre 1 | La Bible App | Bible.com
このバージョンのタイトル、
La Bible en français courant
ラ ビーブル アン フランセ クラン
の Bible は 「聖書」、 courant は 「日常の、普通の、ありふれた」 という意味があるので français courant で 「日常フランス語」 でしょうか。
La Bible en français courant
日常フランス語による聖書
というかんじです。
つまり、古めかしい言葉ではなく、現在よく使われているフランス語に訳した、ということでしょう。
さて、最初の
Au commencement de toutes choses,
オ コマンスマン ドゥ トゥットゥ ショーズ,
la Parole existait déjà
ラ パロール エグズィステ デジャ
から。
au commencement は、「始まりに」 、de toutes choses は 「あらゆるものの」 なので、前半は 「あらゆるものの始まりに」 となります。
つづいて、la Parole の parole は 「言葉」 ですが、大文字で始まっているので 「み言葉」 としておきましょう。
existait は動詞 exister 「存在する」 の直説法半過去形です。
すると、la Parole existait déjà で、「み言葉はすでに存在していた」 です。
くっつけると、
Au commencement de toutes choses, la Parole existait déjà
あらゆるものの始まりに、み言葉がすでにあった。
となります。
次の文は、
celui qui est la Parole était avec Dieu,
スリュイ キ エ ラ パロール エテ アヴェク ディウ
et il était Dieu
エ イレテ ディウ
celui qui ... という表現は、「...する人・者」 という意味になるので、
※ qui は次に来る動詞の主語になる関係代名詞)
celui qui est la Parole で、「み言葉である(ところの)人・者」 です。
そしてこの celui qui est la Parole の celui が次の動詞 était の主語になっているので、
celui ... était avec Dieu
...な人・者は神とともにあった
となります。
全体では、
celui qui est la Parole était avec Dieu,
み言葉である人は、神とともにあった
です。
celui qui est la Parole の est は現在形、celui ... était avec Dieu の était が過去形になっているのが気になります。
次は
et il était Dieu
なので、
そして、彼 (その人・者) は神であった
というかんじです。
後半をまとめると、
celui qui est la Parole était avec Dieu, et il était Dieu
み言葉である人は、神とともにいた。そしてその人は神だった
となります。
全部で、
Au commencement de toutes choses, la Parole existait déjà ; celui qui est la Parole était avec Dieu, et il était Dieu
あらゆるものの始まりに、み言葉がすでにあった。 み言葉である人は神とともにあった。その者は神であった。
です。
これをそのまま図式化すると、
み言葉=キリスト?=神
ということなのでしょうか...。
日本語訳を見てみます。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 (「口語訳」)
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 (「新共同訳」)
この二つの訳文は同じです。「言」 は 「ことば」 と読めばいいのでしょうか。
この訳と 『日常フランス語による聖書』版のフランス語を見ると、
1. 「あらゆるものの始まり」 の 「あらゆるものの」 が日本語版にはない
2. 「み言葉である人は、神とともにいた。そしてその人は神だった」 の箇所は、日本語訳では、「言は神と共にあった。言は神であった」 となっていて 「人(者)」 が表現されていない
という違いがあります。
とくに 2 の違いは大きいですね...。
うーむぅ、おもしろいです。